第3回 量子情報科学入門: 行列と演算子(ユニタリ・エルミート・固有値)
はじめに
こんにちは、TechBulkです。 前回の記事では、量子ビットの状態を「ベクトル」で表す方法(ブラ・ケット記法)を学びました。
今回は、その量子ビットを操作したり観測したりするための道具である 行列(演算子) について学んでいきます。 量子情報科学において、特に出番の多い「エルミート行列」と「ユニタリ行列」という2つのスター選手をマスターしましょう。
1. 固有値と固有ベクトル
まず、線形代数の復習も兼ねて、非常に重要な概念である 固有値 (Eigenvalue) と 固有ベクトル (Eigenvector) について確認します。
ある行列 をベクトル に作用させたとき、そのベクトルが方向を変えず、単に定数倍(スケール変換)されるだけの場合を考えます。
このとき:
- (スカラー)を固有値
- (ゼロでないベクトル)を固有ベクトル
と呼びます。 この概念は、次に紹介する「観測」の理論で主役となります。
2. エルミート行列と「観測」
量子力学において、物理量(エネルギーやスピンなど)は行列で表され、これらを 観測量 (Observable) と呼びます。この観測量を表す行列には、 エルミート行列 (Hermitian Matrix) という特殊な行列が使われます。
定義
自身の随伴行列(転置して複素共役をとったもの)が、元の行列と等しくなる行列のことです。
行列 が以下を満たすとき、エルミート行列と呼ぶ。
性質と役割
エルミート行列には、量子情報科学において決定的に重要な性質があります。
- 固有値が必ず実数になる
- 異なる固有値に対応する固有ベクトルは直交する
物理的な意味 私たちが実験で「測定」をして得る値(メーターの読み取り値など)は、必ず実数(3.5Vや100kgなど)ですよね? 虚数の測定値は現実世界には存在しません。そのため、「観測可能な物理量は、固有値が実数であるエルミート行列で記述される」というルールがあるのです。
測定を行うと、その物理量に対応するエルミート行列の固有値のいずれかが観測され、測定後の量子状態はその固有値に対応する固有ベクトルになります。
3. ユニタリ行列と「量子ゲート」
次に、量子状態を「変化」させる操作について考えます。 量子コンピュータにおける計算(ゲート操作)は、 ユニタリ行列 (Unitary Matrix) で記述されます。
定義
自身の随伴行列が、自身の逆行列になっている行列のことです。
行列 が以下を満たすとき、ユニタリ行列と呼ぶ。 ※ は単位行列
性質と役割
ユニタリ行列の最も重要な役割は、「確率の総和(ベクトルの長さ)を変えない」ことです。
前回学んだように、量子状態 は確率振幅の二乗和が1(規格化条件 )である必要があります。 量子ゲートによって計算をした後、確率の合計が120%になったりしては困ります。ユニタリ行列による変換は、この「長さ1」という性質を完全に保ちます。
幾何学的には、複素ベクトル空間内での「回転」のような操作に対応します。
【演習】ユニタリ行列の行列式
ここで、簡単な証明問題を通してユニタリ行列の性質に触れてみましょう。
ユニタリ行列 の行列式の絶対値は 1 である。
証明
ユニタリ行列の定義式 の両辺の行列式をとります。
行列式の性質 と より、
ここで、随伴行列の行列式は、元の行列式の複素共役になる性質 を使います(は複素共役)。
複素数 に対して であるため、
絶対値は非負の実数なので、平方根をとって
となります。(証明終了)
Q.E.D.この性質は、物理的には「位相(Phase)」の変化に関係しています。大きさ(絶対値)を変えずに、位相だけを回転させるイメージを持つと良いでしょう。
まとめ
今回は、量子情報科学を支える2つの行列について学びました。
- エルミート行列 () : 観測に対応。固有値は実数。
- ユニタリ行列 () : 操作(ゲート)に対応。確率の総和を保存する。
次回は、いよいよ具体的な量子ゲート(パウリ行列やアダマール行列など)を見ていき、回路図の読み方に入っていきたいと思います!